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内藤 洋子(ないとう ようこ、1950年5月28日 - )はかつて東宝の専属だった女優。 ==来歴・人物== 茨城県神栖市に生まれ、北鎌倉で育った、4人姉妹の3番目。父は開業医、伯母はダンサーの和田妙子。 鎌倉市立御成小学校5年生の時に学校へエースコックのワンタンメンのCM撮影隊が訪れ、その事がきっかけで雑誌『りぼん』のモデルを始めるようになり〔NHK『スタジオパークからこんにちは』2006年1月ゲスト時の本人コメント。〕、北鎌倉女子学園在学中の1965年、黒澤明監督の『赤ひげ』の「まさえ」役でデビューする(黒澤の長女黒澤和子が『りぼん』を定期購読していた。黒澤は表紙のモデルをしていた彼女に目を付け、オーディションを受けるよう勧めたのがきっかけである。最終選考に残ったもう一人が酒井和歌子。黒澤は最後までどちらにするか迷い、チーフ助監督など主要スタッフ数人の投票で決めようとしたものの、同数であったために決められなかった。最終的には二人の写真を長男の黒澤久雄に見せた結果、久雄の選んだ内藤に決めた)。翌1966年、テレビドラマ『氷点』に主演、また、恩地日出夫監督の『あこがれ』に主演し、ゴールデン・アロー賞などを獲得、瞬く間にアイドルとして一世を風靡する。歌手としても活躍し、松山善三監督の『その人は昔』(1967年)の挿入歌、「白馬のルンナ」は50万枚の大ヒットとなった(娘の喜多嶋舞がTBS系「クイズダービー」にゲスト出演した際(第774回、1991年2月9日放送分)に歌詞問題で使われた。しかし舞は指名されたものの不正解だった)。 やがてテレビドラマ『氷点』が高視聴率を続けたことで遊覧コースとして観光バスが自宅前を通過する程の事態となる(『あちらに見えますのはドラマ『氷点』で陽子を演じている内藤洋子さんのご自宅でございます』)〔近代映画 近代映画社 1967年1月号 203頁。〕。 その後も『伊豆の踊り子』、『年ごろ』、『地獄変』などの作品に出演し人気を博した。一つ年上の酒井和歌子と同時に青春スターとして東宝は売り出しを図っていたが、内藤洋子の方が売れるのが早かった。しかし、1969年に差し掛かるとアイドルとしての人気は酒井和歌子へと逆転する。 1970年に音楽家の喜多嶋修と結婚して芸能界を完全引退した。 女優の喜多嶋舞は長女。舞が二歳の頃(1974年頃)、家族共々アメリカ・カリフォルニア州に移住した。喜多嶋との間には舞のほか渡米後に出生した長男と次女がいる。 その後は喜多嶋洋子(きたじま・ようこ)として絵本などを発表している他、時折テレビにも出演している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤洋子 (女優)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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